鎖国しようぜ、鎖国!

皆さんは日本という国をご存知だろうか。


世界の東の果てにある、小さな小さな島国。食、言葉、建築、生活様式といった文化、そしてその歴史においても他国とは全く違うその国には、勤勉に働き、慎ましく生きることを良しとする、日本人が住んでいる。四季にあふれた気候と、山と海に囲まれた土地で育まれた独特の美意識、価値観を持った彼らは、しかし西洋の大国と並ぶほどの経済力で世界にその名を広く知られている。俺はそんな国の、ほんの少しだけ特殊な環境で育った。


西洋文化を好む両親の下で、白人と日本人のダブル*1の幼馴染みと共に育った俺にとって、この国はあまりに小さく、物足りないものだった。物心ついた頃に北アメリカへ行った経験がその感情をさらに強くした…ヨーロッパやアメリカと違って、地味な食事、リズム感のない言葉、無愛想な人と街、内向的な国民性が、俺にはとてもつまらないものに思えた。いつか海を越えて、もっと素晴らしい国で暮らしたいと、ずっとそう思っていた。


20歳になった時、そんな野望を実行せんとしてヨーロッパへ旅立った。イタリアからスイス、スイスからフランス、スペイン、そしてイギリス、憧れていた国々を鞄一つだけ抱えて、一人で旅した。観光客としてではなく、街に溶け込めるように振る舞おうとした。街往く人に話しかけ、その街のことを知ろうとした…幸運なことに、どの街でも遠方よりやってきた俺を快く迎えてくれて、沢山の話をしてくれた。その国のこと、その街のこと、そして彼、もしくは彼女自身のこと。ところが、熱心に自分達のことを話したあとには皆、必ず同じことを俺に向かって言ったのだ。「君が育ったところは、どんなところなんだ?」


拙い英語で日本の良さを必死に伝えようとした。そんなに好きでもないと思っていた自分の国のことを—自分でも何故だかよく分からないが、少しでも良く思ってもらえるようにと努めて話した。うまく伝わったかどうかは分からないけれど、俺の話を最後まで聞くと「こっちとは全然違うんだね。素晴らしいところじゃないか」皆揃って、そう言ってくれたのだった。


そんなやり取りを続けている内に、気付くと国や街の"良さ"について考えていた。確かにヨーロッパは国によってそれぞれ全く違った特色があって、それはとても魅力的だ。でも、それは日本も同じだろう?


そう。この国、この東の果ての小さな島国は、ヨーロッパとは違う。無論アメリカとも違う。違うけれど、日本には日本の良さがある。考えてみれば当たり前の話ではあるのだけれど、帰国して改めて見た生まれ故郷は、今までとは違うもののように感じた…地味だけれど優しい味の健康的な食事、淡々としているけれど表現力に溢れた魔法のような言葉、雑多なものに溢れているけれど全てが手に入る街、彩り鮮やかな自然の表情、そして不器用だけど暖かい人柄。見方を変えるだけで自分の故郷が、彼らの言ったように、とても素晴らしいものに思えた。日本にはロンドンもパリもローマもないけれど、ヨーロッパには日本はない。そして、それこそがそれぞれの良さなんじゃないかと、素直にそう思った。


だから今強く思う。日本は、日本らしくあるべきなんだと。西洋の真似をしたって、それは所詮真似でしかない。歴史的に見ても日本人は外の文化を受け入れることに長けているけれど、それは外の文化の良いところを自分のものにするまでに留めるべきであって、無理矢理に他の国がそうしているように振る舞うのは間違っていると思うし、良い結果は得られないだろうと俺は思う。文化だけではなく、国政や経済においてもそう。どんな分野でも、海外のものを真似するのではなく、良いところを取り込んで自分達のものにするというプロセスが必要なんだと思っている。例えばそっくりそのままアメリカの真似をしたって、日本に住んでいるのは日本人であってアメリカ人じゃない。特に西洋では自分達のアイデンティティを頑なに守ろうとするからこういったことは起こらないけれど、日本は他国の文化や手法に対して寛容だ。それは良いことだと個人的には思うけど、その上で日本らしさを保つのはとても難しい。下手をすると気付かない内に文化的、思想的に侵略されてしまうかもしれないという危うい一面もある。そして最近になって、その"弱点"を感じることが多いように思うのだ。


江戸時代から開国を経て明治より近代化し、大国となった日本はその歴史の中で常に他の国から影響を受けながら発展してきたけれど、戦後のメディアの発達から情報量が加速したことで発展の方向性を見失っている気がする。だからもう一度鎖国してしまえ、というのは勿論冗句なのだけれど、このまま迷走していると日本本来の良いところまでもが失われそうな危機感を俺は感じている。でも、日本独自の文化に絞れ、イタリアンやフレンチのレストランを潰して外食は全て和食にせよ、建築物も木造平屋のみにすべき、というようなことを主張するのも間違っているだろう。北欧建築の家に住んでドイツ車に乗り、ビートルズを聴きながら中華料理を食べに行く、そんな沢山の文化がごちゃ混ぜになった生活でも、不思議なことに日本らしさは感じられるのだ。オリジナルとは違う、それを一端噛み砕いて自分達に合うようにアレンジするのが日本のスタイルで、そうやって生まれたものは元が西洋にあっても日本のものになると個人的には考えている。そういった沢山の文化を吸収する上での下地としてある「日本らしさ」を失わないように(これはとても説明するのが難しいのだけれど、きっとそれは必ずある)。俺はそう生きていきたいと思うし、また国もそうあって欲しいと俺は願っている。将来他の国に出かけた時に、彼らにまた"That's great"と言わせるために。






postscript
このエントリを書くきっかけになったのはTwitterでのid:t_yanoさんの発言で、respectの意味もこめてこんなところではありますが一言お礼を。ありがとうございます。どうにも内容がズレてしまっている気もするのだけれど。

*1:混血のこと。ハーフ、クォーターというと差別語になるのでダブル、ミックスと言う方がいい