it is not so good, that is why I like it.


長文推敲のリハビリを兼ねて久々に記事を書く。全くあの水色の「つぶやきを投稿するサービス」のおかげですっかり文章を書く機会が減ってしまった。


いや、正直に言おう。機会なんていくらでもあったし、そもそも物事を行なう機会などというものは自分で作るものだ。スペースがないと仕事が出来ないなどとほざくFWに価値はない、スペースが必要なら自らスペースを創れというではないか。まあ、それはいいんだ。ともあれ、書きたい内容もないわけでなし、端的に言って手間がかかるのを面倒がったという話である。いやはや…









今回はiPhoneにまつわるお話である。またか、などと言わないで欲しい。いいじゃないか、好きなんだから。


iPhoneについては散々色々言われている。賛否両論、と言える程度に全体の意見にバランスが取れているかどうかは定かではないが、こと信者である俺には否の方が耳に付く。例えばこれだ。


森公美子オフィシャルブログ
http://www.k-seven.co.jp/blog_mori/


芸能人などドアラくらいしか知らない俺でもこの人を知っているのは彼女が青果店からバナナを消し去る程度の能力を持っているからに他ならない。大きな体格をした彼女は大衆の想像に反し飲食店の敵である。


そんな御方がiPhoneを購入したという。そして、その使い方が分からなかった。店員は使い方を教えてくれない。最悪だ!


件のエントリは以上のような内容であると思う…どうにもこの文章にはアドレナリンの臭いが染み付いて今ひとつ読解がしにくいので、完全に訳せているかどうかは自信がない。だがおそらく、これでそう間違いはないだろう。


全国規模で特定種の果物を一時的に絶滅させるような方のお言葉である。多くの人がこれを耳にし、そしてそれについて意見を仰っているようであり、そのいくつかを俺も拝見させて頂いた。俺は前首相のように物事を客観視する自信はないが「その通りだ。iPhoneは使いにくい」と言う方と「キャハハハ!キモーイ!iPhone使いこなせないのが許されるのは胎児までだよねー!」と仰け反り絶叫する我が同胞、その双方がいたように思う。


そんな人々の思い思いの叫びの中に少し気にかかるものが。


iphoneが犯したたった一つの間違い - 煩悩是道場
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20081105/1225838099


「そもそもiPhoneが犯した間違いがたった一つである筈がない」という話はこの際置いておこうじゃないか。信者にしては冷静にAppleのプロダクトを見ているつもりだけれどね。あと「間違いのない完璧なものなんて愛せない」なんていうクソみたいなことを言うつもりもない。


ここで言われているのは「信者は『iPhoneは直感的に操作出来る』と言うが、説明書もナシにこんな高度な操作(ピンチ・フリック)が出来るかよ!」ということだ。「iPhoneは直感的ではない」とここでは言い切られている。個人的には溜息をつきたい気分だ。


「直感的なプロダクトは説明書ナシでも使える」。なるほど、iPhoneというプロダクト、その全面タッチスクリーンと各種センサーをフルに使ったインターフェースが実現したこれまでの十字キーやいくつものボタンから解放させられる様は、まさに直感的という言葉がぴったりとくる。だが、直感的に操作出来ることと、説明書を見なくてもフルに使いこなせられるプロダクトであることは同義じゃない。違うだろうか?


指でなぞるようにしてページをめくり、カーソルを持って行くでも選択枠を十字キーで動かすでもなく、押したいものを指で押す。これが「直感的」と呼ばれるiPhoneのインターフェースの美しさであり、それは誰にでも使えるイージープロダクトであるということを指しているのではないと思うのだ。だとすれば、iPhoneが使いにくいと彼らが思う理由は別にある。


よくiPhoneの比較対象にあげられる携帯電話。iPhoneは今まで我々(その中に俺は是非とも入れないで頂きたいのだが)が使い慣れた携帯電話とはまるで違う。「だから使いにくい」。彼らはそう言う。だが俺はそれに反論する。


iPhoneは携帯電話ではない。「ケータイ」でも勿論ないし、スマートフォンと言うには何か違う。iPhoneiPhoneなのだ。電話の出来るモバイルデバイスであるという点で既存の携帯電話と共通しているが、それが一体なんだというのだろう。サウナとオートクレーブだってどちらもやたら熱くなる個室じゃないか。オートクレーブに潜り込んで汗をかく?素晴らしいね。たいそう痩せることだろう。是非バナナクィーンにも教えて差し上げたいものだ。


iPhoneが使いにくい」というのは「iPhoneはちょっと今までと違うなにやら凄そうな携帯電話だ」と決めつけた連中のエゴが原因の一つにあると思う。もちろん、そう思われるような売り方をしたキャリアの責任でもある。だが「説明書が薄っぺらで何も書いてない」とか「店の人間は説明もしてくれない」とか言うが、それは「なんでもこと細かに書いてある説明書が付随していて、お店の人も懇切丁寧に使い方を教えてくれる」と勝手に思い込んでいるだけだろう。たまたま今まで日本にあったデバイスはそうだったかもしれないが、iPhoneは違う。何故かって?クソぶ厚い説明書を箱に詰めるなんてダサいこと極まりないし、「売っているお店の人さえも何が何だか分からない」というのがApple流だからさ。


こういう商売の方法は確かに多くの日本人には受け入れ難いものかもしれない。だがそれを知らずにiPhoneを買ってぎゃあぎゃあ言われてもどうしようもないし、当然、iPhoneを購入した皆が残らずそう思っているわけでもない。


「数学がとても得意な人は教えるのが下手だ」という話がある。必ずしもそうではないだろうが、これは教える側が「何故分からないかが分からない」故に起こる現象を指している。そしてこの場合も、その「あるものの習得へのプロセスが自分とは異なる人への理解」への認識が欠如している。


iphone,i-phone,IPHONE。これらの単語に違和感を持つ人は「数学が得意な人」に該当するだろう。


いわゆる「Appleの流儀」を知っている人々なら、iPhoneを表参道で十数時間に及ぶ徹夜の末に手に入れ、しかしそれが全く使い方の分からない代物だったとしても文句一つ言わないに違いない。「そういうものだ」ということを分かっているからだ。iPhoneに限らずAppleのプロダクトにはそういった点—見た目は華やかだけれど中身はすっかすかの不親切設計—が必ずあるということは、今までAppleのコンピュータを使ったことのある人ならば気付いている。そして、これがAppleのプロダクトの素晴らしく、また恐ろしいところなのだが、そういった点を含めてMac, iPod, そしてiPhoneは「使っていて楽しい」のだ。


だが多くの日本人はそのことを知らない。そして「iPhoneなんて使うの簡単じゃないか、使えない奴がアホなんだよ」と言う人々は「Appleプロダクトへの接し方を知らない人がいる」ことが見えていない。


郷に入りては郷に従え、などという言葉を使うつもりはない。けれど、iPhoneは使いにくい!と叫んでいる人々には、例え説明書が紙切れ一枚で使い方が分からなくても、ブラウジング中にSafariがしょっちゅう落ちても、「Repair Needed」という死亡宣告がなされても、「まったくもー、しょーがねえーなあーw」という余裕をもってiPhoneを扱ってみてほしい。きっとそのプロセスこそが、タッチパネルでも3Gインターネットブラウズでもクールなインターフェースでもない、本当のiPhoneの魅力だと思うから。









ところで文中で少し言及したが「iPhone」が正しい表記であり、iphoneやi-phone、ましてAiphone(!)はApple.incの発売している小型デバイスの名称としては不適切である。ところが森公美子さんのブログや上で取り上げたブログでは正しい表記がなされていない。それが俺の最大の気がかりであり、これが某国によって作られたiPhoneそっくりのニセモノであるのではないかということを俺は恐れている。もしそうであった場合、上記の文章は全てそれこそ勝手な思い込みの産物であり、さらに見方によっては失礼に値するような書き方をしてしまっているのだ!もし文字通り中身がすっかすかの偽物(それはきっと直感的ではない!)についてブーイングをしているなら、俺は渾身のフライング土下座を行なって誠意を見せるつもりだ。俺流エクストリームダイエット術を教えて差し上げることで許して頂けるならそうすることに躊躇いはない。




まあ、それも全てはつまらないことだけれど。