KINO


学生の頃にアルバイトをしていたレストランは2つあって、20の時に働いていたイタリアン、22の時に働いていたフレンチ、そのどちらもオーナーとは今も連絡を取り合っていて、近くに行くことがあると顔を出すようにしている。先日、一年ぶりにフレンチの方に訪れた。オーナーシェフとマダムは、急な訪問にも関わらず暖かく出迎えてくれた。当時のことや、今のレストランの様子、お互いの近況について話した。アルバイトを辞めてもう4年くらいになるけれども、未だにこうして付き合いがあるのはとても幸せなことだと思う。


もう4年くらいになるので、当時一緒に働いていた人の中には既にレストランを去った人もいる。キッチンで働いていた年上の先輩がいなくなっていた。彼はどうしたんですかと聞くと、シェフは苦笑した。彼は真面目だし、しっかり働いてくれた。彼の働きで忙しいレストランも助かった。そろそろ自分の店を持ってもいい頃かなというある日のことだそうだ。「その前にやりたいことがあるって言ってね、放浪の旅に出てしまった」シェフは笑いながら続ける。「そういうところは、入ってきた時から変わらなかったねえ」


信頼され長く働いていたレストランを辞め、長く付き合って一緒に住んでいたガールフレンドとも別れて、一人で日本を出てあてもなく放浪しているそうだ。確かに彼にはそういうところがあった。彼はひとところに落ち着いて日々を過ごすというタイプには見えなかった。当時聞いた彼の過去はなかなかに波乱万丈で、それも自ら望んで大渦の中に飛び込んでいくようなもので、だから彼がそんな道を選んだと聞いても特に驚かなかった。むしろその気持ちがよく分かった。羨ましいとさえ思う。


世界には二種類の人間がいる。日々の暮らしに安らぎを求める人と、刺激を求める人。普段と変わらない安定した日々を望む人と、常に不安定で先が見えない日々に興奮する人。彼もおれも後者なのだと思う。自分の想像を超えるような事態に遭遇するのが嬉しくてたまらない。だから常に自分の育った環境からの脱出を望んでいる。「自分の知らないもの」に出会うことが、そういう人間にとって無常の喜びだから。


「旅は麻薬だ。自分の育った街を出て、自分の知らない言葉を話す人が住む自分の知らない街に行くのは、一度やったらやめられない」おれの親友のイタリア人がこんなことを言った。先月彼を訪ねた時のことだ。おれは深く同意した。普通の観光客のように、美味しい食事をしたり、買い物をしたり、美しい街や美術品や建築物、自然の風景を見るのも楽しいけれど、「その街の人々の生活に溶け込む」ことで得られる刺激は観光のそれとは比べ物にならない。だからおれはいつも知らない国に行くと、その街に住む人と友達になって「観光客のいないところに連れて行ってくれ」と頼みこむ。その街の人が起きる時間に起きて、その街の人が食べるものを食べて、その街の人が歩く道を歩く。自分がその街の住人になったかのように振る舞うのだ。観光客に道を訊かれたら成功。現地の人に現地の言葉で呑みに誘われたら大成功だ。


「だけど旅はいつか帰らなきゃいけない。だからおれは自分の生まれた国を出ることにした」と、トスカーナで育ったイタリア人は言う。福岡で育った日本人は窓の外を眺めながら「だからってこんなところまで来なくても」と呻いた。「でもいいところだろ、ここも」「景色はいいよ。northern lightsが見れるのもいい。素敵なところだと思う。来てよかった。だけど」「ここには太陽も、パスタも、カルチョもない?」「全然違う」「だからさ」お前も同類なんだから分かるだろ、という顔をする。分かるよ。分かるけど、寒いのは苦手なんだ。何も北極に来なくても。


「こんなところに来たおれもイカれてるけど、ここまでおれに会いに来るお前も相当イカれてる」「しょうがないだろ。ジャンキーなんだよ」ずっとイタリアで育った彼と、ずっと日本で育ったおれが意気投合してずっと連絡を取り合っているのは、お互いに同じ匂いを感じ取ったからなのだろう。お互いに母国語ではない英語で話すけれど、これだけ分かり合えるのは考え方や価値観が同じだからだと思う。全く違う環境で育ったのに、驚くほど同じことを考えて生きている。「早くこっちに来ないと時間ないぜ。あと2年しかない」「分かってる。急がないと」「日本から行くのは辛いぞ」「地球の裏側だもんな…」


日本は好きだし、多くの友人がいる。この先の人生をずっとこの国で暮らすのもきっと悪くはないだろうけど、でも、多分おれはもう手遅れなんだと思う。