菌オタが非オタの彼女に農学世界を軽く紹介するのための10菌

まあ、どのくらいの数の菌オタがそういう彼女をゲットできるかは
別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に
 黙認してくれて、その上で全く知らない農学の世界とはなんなのか、
 ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合の良い妄想の中に出てきそうな彼女に、農学のことを
紹介するために見せるべき10菌を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に農学を
布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、実地的に多大な影響を及ぼすので重要だが
ぶっちゃけ地味、という菌は避けたい。できればもやしもんに出てくる菌、
少なくとも食生活に影響しそうなものにとどめたい。
あと、いくら農学的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
微生物学好きが『ミクログラフィアありきなんだよ、コルクは外せない』
と言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。あれ細胞壁だし。
そういう感じ。
彼女の設定は

  • 農学知識はいわゆる「コッホの三原則」的なものを除けば、自然発生説が科学的に否定されている程度は知っている
  • 理系度も低いが、頭はけっこう良い英文学部の金髪碧眼北欧美女。

という条件で。
まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

大腸菌 Escherichia coli

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「大腸菌以前」を濃縮しきっていて、「大腸菌以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。モデル生物だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な細菌について、菌株によっては毒性を持つこと、バイオテクノロジーで遺伝子組み換えを用いた物質生産に盛んに利用されていること、それに絡んで先日ウチの大学の某学部がバイオハザードやらかしたこと*1なんかを、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。

ニホンコウジカビ Aspergillus oryzae, アワモリコウジカビ Aspergillus awamori

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな菌(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「農学オタとしては、デンプンをブドウ糖に分解するオリゼーの存在こそが
 日本酒とワインの最大の違いなんだよーという話題は"飲み会の鉄板ネタ"
 としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

ウイロイド viroid

ある種のSF農学オタが持ってるRNAゲノムへの憧憬と、生物界全体へ投げかけられた生物と非生物の境界という命題を彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもRNA生物な
「ウイルスの上を行く単純性と合理性」を体現する棒状一本鎖RNA構造
「完全なDNA非依存」を体現するローリングサークル複製
の二つをはじめとして、オタ好きのする機構を生活環にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

乳酸菌(L.カゼイ) Lactobacillus casei

たぶんこれを見た彼女は「いいえ、ケフィアです」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
乳酸菌と言っても実はいくつもの属からなる乳酸発酵を行なう嫌気性細菌の総称であること、善玉菌として知られるが日本酒酒造の現場では「火落ち」として忌み嫌われているものもいること、「乳酸菌摂ってるぅ?」という銀様のお言葉が乳酸菌飲料自民党幹事長はじめ全国のアニメオタクの必須飲料としていること、ついでに全国のヤクルトレディの雇用を支えていること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

酵母菌 Saccharomyces cerevisiae

「やっぱり菌は生活の役に立つためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのはS.bayanusでもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、どちらもそんなにゲノムに差がないから。
断腸の思いで醸しに醸してそれでも35〜38℃、っていう温度が、どうしてもパンを捏ねる時に俺が温度計をつかんでしまうのは、その「酵素活性の最適温度」ということへの妄信的な姿勢がいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
酵母の発酵に対する最適温度の範囲を俺自身は狭過ぎると思わないし、これ以上の妥協も許されないだろうと思うけれど、一方でこれが単なる培養であれば28〜32℃にしてしまうだろうとも思う。
なのに、湯煎と空調、冬はこたつまで使って35〜38℃に保たせる、というあたり、どうしても「発酵を形作ってくれる酵母を愛するオタク」としては、しかし菌の方は黙々と生命活動を続けているだけなので、寂寥感を禁じ得ない。
焼き上げたパンを食べながら、そんなことを彼女に話してみたい。

ジャガイモ疫病菌 Phytophthora infestans

今の若年層で飢饉にあった経験のある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
微生物が病気の原因という考え方が受け入れられるより前の段階で、植物病原菌による人類への被害はGreat Famineで頂点に達していたとも言えて、こういう最悪のクオリティの疫病がアイルランドで19世紀に蔓延したんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに関与していなくても、なんとなく菌屋としてはとてつもなく歯がゆいし、この飢饉がなければケネディが合衆国大統領になることも有り得なかった*2、菌が歴史を動かしたということも加えて、いわゆる飽和的なものでしか食糧危機を知らない彼女には教えてあげたいなと思う。

ファイトプラズマ Phytoplasma

植物病理学における「糸状菌」あるいは「ウイルス」とは違う細菌をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「個々に注目するだけでなく病原微生物を体系的に捉える」的な感覚が病理学者には共通してあるのかな、ということを感じていて、だからこそ比較解析が困難なファイトプラズマは特殊な一つの細菌群として捉える以外ではあり得なかったとも思う。
「包括的に微生物を分析・分類する」という病理学者の感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「病理屋の意識」の源はファイトプラズマにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、未だ純粋培養に成功していない数少ない微生物の一つを単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

マツタケ Tricholoma matsutake

これはマグナムだよなあ。俺のマグナムとどちらがいいと言うか、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう食材として有名なものをこういう形で菌として捉えて、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

腸管出血性大腸菌O157:H7 Escherichia coli 0157:H7

9菌までもあっさり決まらなかったし10菌目とか空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にO157を選んだ。大腸菌から始まって大腸菌で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ウイルスベクターの働きによって病原性を獲得したという例でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい菌がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10菌目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。


「駄目だこのヘタレもやし屋は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

*1:遺伝子組み換えをはじめとした生物実験は、環境に影響を与えないように慎重な処理を特に廃棄時に求められます。

*2:ケネディの祖先は飢饉により北米に移住したアイルランド系の移民だった