glasses

それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識がぼんやり遠ざかる気がする。だけどそれはたぶん気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。耳に飛び込んできた会話が、しかしそんな眠気を吹き飛ばした。


「だって、常に同じものを見ていたいじゃない」
「あー、それはわかる」
「自分が何かを見て感動したとき、その感動を共有出来ないのはイヤ」
「あたしもそれ思ったことある、同じもの見てたいよねー」
「そうそう」
「寝る前の星空とかさあ…」
「あ、着いたよ」


電車が西日暮里駅のホームに滑りこむ。声の主たちが降りて行くのを見送り、再び走りだした車両の窓に写り込んだ自分の顔を見た。眼鏡を外してみて、それからまたかけて、小さく頷いた。



*



それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識がぼんやり遠ざかる気がする。だけどそれはきっと気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。ぼんやりとドアの方を見やると、三人の女性が同じ車両に乗ってきた。


「眼鏡を外すとイケメンじゃなくなる人っているよね」
「えー、どういうこと?」
「眼鏡が似合う顔立ちだから、眼鏡をしてると格好いいみたいな」
「逆もいるんじゃない?」
「眼鏡の種類にもよるよねー」
「黒縁の眼鏡でもさ、おしゃれな眼鏡と、オタクっぽい眼鏡があるよね」
「え?」
「ほら、見るからにオタクみたいな眼鏡かけてる人いるじゃん」


電車は上野駅のホームを出発した。声の主たちの方には目を向けず、街のネオンと共に窓に写り込んだ自分の顔を見た。眼鏡を外そうとして、少し考えて、やめた。



*



それはある日の夜のことで、あと半刻もすれば日付が変わる頃、おれは内回りの山手線に乗っていた。吊革に捕まりゆらゆらと揺られると、意識が薄ぼんやりと遠ざかるような気がする。だけどそれはおそらく気のせいで、一日の疲労感が眠気を誘っているのだろう。天を仰ぐように車内広告を眺めていると、女性の話し声が車両に響いた。


「わたし、眼鏡かけてない男の人が好き」
「え、どうして?」
「視力同じくらいの人がいいの。ほら、わたし視力いいし」
「眼鏡とかコンタクトじゃだめなの?」
「コンタクトはいいかもしれないけど、眼鏡はとっさにかけれないでしょ」
「どういうこと?」
「メガネメガネ、って探してるその一瞬がね、もったいない」


車内のモニタは次が日暮里駅であることを告げていた。ほどなくして広告を流し始めたモニタから視線を外し、窓に写り込んだ自分の顔を見た。少しずれていた眼鏡の位置を、ゆっくりと直した。

KINO


学生の頃にアルバイトをしていたレストランは2つあって、20の時に働いていたイタリアン、22の時に働いていたフレンチ、そのどちらもオーナーとは今も連絡を取り合っていて、近くに行くことがあると顔を出すようにしている。先日、一年ぶりにフレンチの方に訪れた。オーナーシェフとマダムは、急な訪問にも関わらず暖かく出迎えてくれた。当時のことや、今のレストランの様子、お互いの近況について話した。アルバイトを辞めてもう4年くらいになるけれども、未だにこうして付き合いがあるのはとても幸せなことだと思う。


もう4年くらいになるので、当時一緒に働いていた人の中には既にレストランを去った人もいる。キッチンで働いていた年上の先輩がいなくなっていた。彼はどうしたんですかと聞くと、シェフは苦笑した。彼は真面目だし、しっかり働いてくれた。彼の働きで忙しいレストランも助かった。そろそろ自分の店を持ってもいい頃かなというある日のことだそうだ。「その前にやりたいことがあるって言ってね、放浪の旅に出てしまった」シェフは笑いながら続ける。「そういうところは、入ってきた時から変わらなかったねえ」


信頼され長く働いていたレストランを辞め、長く付き合って一緒に住んでいたガールフレンドとも別れて、一人で日本を出てあてもなく放浪しているそうだ。確かに彼にはそういうところがあった。彼はひとところに落ち着いて日々を過ごすというタイプには見えなかった。当時聞いた彼の過去はなかなかに波乱万丈で、それも自ら望んで大渦の中に飛び込んでいくようなもので、だから彼がそんな道を選んだと聞いても特に驚かなかった。むしろその気持ちがよく分かった。羨ましいとさえ思う。


世界には二種類の人間がいる。日々の暮らしに安らぎを求める人と、刺激を求める人。普段と変わらない安定した日々を望む人と、常に不安定で先が見えない日々に興奮する人。彼もおれも後者なのだと思う。自分の想像を超えるような事態に遭遇するのが嬉しくてたまらない。だから常に自分の育った環境からの脱出を望んでいる。「自分の知らないもの」に出会うことが、そういう人間にとって無常の喜びだから。


「旅は麻薬だ。自分の育った街を出て、自分の知らない言葉を話す人が住む自分の知らない街に行くのは、一度やったらやめられない」おれの親友のイタリア人がこんなことを言った。先月彼を訪ねた時のことだ。おれは深く同意した。普通の観光客のように、美味しい食事をしたり、買い物をしたり、美しい街や美術品や建築物、自然の風景を見るのも楽しいけれど、「その街の人々の生活に溶け込む」ことで得られる刺激は観光のそれとは比べ物にならない。だからおれはいつも知らない国に行くと、その街に住む人と友達になって「観光客のいないところに連れて行ってくれ」と頼みこむ。その街の人が起きる時間に起きて、その街の人が食べるものを食べて、その街の人が歩く道を歩く。自分がその街の住人になったかのように振る舞うのだ。観光客に道を訊かれたら成功。現地の人に現地の言葉で呑みに誘われたら大成功だ。


「だけど旅はいつか帰らなきゃいけない。だからおれは自分の生まれた国を出ることにした」と、トスカーナで育ったイタリア人は言う。福岡で育った日本人は窓の外を眺めながら「だからってこんなところまで来なくても」と呻いた。「でもいいところだろ、ここも」「景色はいいよ。northern lightsが見れるのもいい。素敵なところだと思う。来てよかった。だけど」「ここには太陽も、パスタも、カルチョもない?」「全然違う」「だからさ」お前も同類なんだから分かるだろ、という顔をする。分かるよ。分かるけど、寒いのは苦手なんだ。何も北極に来なくても。


「こんなところに来たおれもイカれてるけど、ここまでおれに会いに来るお前も相当イカれてる」「しょうがないだろ。ジャンキーなんだよ」ずっとイタリアで育った彼と、ずっと日本で育ったおれが意気投合してずっと連絡を取り合っているのは、お互いに同じ匂いを感じ取ったからなのだろう。お互いに母国語ではない英語で話すけれど、これだけ分かり合えるのは考え方や価値観が同じだからだと思う。全く違う環境で育ったのに、驚くほど同じことを考えて生きている。「早くこっちに来ないと時間ないぜ。あと2年しかない」「分かってる。急がないと」「日本から行くのは辛いぞ」「地球の裏側だもんな…」


日本は好きだし、多くの友人がいる。この先の人生をずっとこの国で暮らすのもきっと悪くはないだろうけど、でも、多分おれはもう手遅れなんだと思う。

OTEMOTO


ある日の昼に定食屋で職場の人々とメシを食いながら雑談している時に「新興宗教の教祖とかイケそうだよね」ということを言われた。大変に心外である。一体どのようなイメージを持たれていたらそんな言葉を頂戴するのだろうか。断固たる遺憾の意を示しつつ「なんですか、使い終わった後の割り箸を崇める宗教をおったてて割り箸メーカーをスポンサーに主婦層を騙したりしそうだって言いたいんですか」と応えた。これはディスポーザブルチョップスティックス教である。割り箸は消費社会の1つの象徴であると言える。割り箸は安価で携帯性に優れ使い捨てであることから衛生的な面でも安心をもたらしてくれる。しかし利便性を求めた結果として日本人が古来より重んじてきた"mottainai"の精神がそこには微塵も感じられない。使った割り箸はその殆どがたった1度の食卓に上がっただけでゴミとして捨てられてしまう。箸を持ち歩いたり洗ったりするというたったその程度の手間を面倒だと思う現代人の怠惰さ傲慢さが有限であり貴重な資源をスポイルしているのだ。豊かな自然に恵まれ環境と共存してきた我々日本人は西洋社会によりもたらされた消費社会に毒されてしまった。このままではご先祖様に顔向けが出来ない。しかし割り箸を使うことを完全に止めるということが著しく困難であるほどにはその利便性に慣れてしまった社会と割り箸という文化によって支えられている雇用は無視が出来ない。つまり我々が出来ることはただ1つである。割り箸に宿った神様を崇め使った割り箸に祈りを捧げることによって我々日本人が古来より受け継いだ自然と共に生きるという精神をさらに次の世代に伝えるのである。それは特別なことは何も必要がなくただ割り箸を使った後にすぐ捨てず割り箸を使う自らの怠惰さを恥じそんな我々に割り箸を届けて下さる割り箸屋の方々に感謝し割り箸という便利なものを生み出した先人の知恵を畏れ割り箸に宿る神様「ディスポーザブルチョップスティックス神」に深い祈りを捧げるのである。しかし日々の祈りだけでは我々の拭い難い怠慢を洗い流し失われた共存の意思を取り戻すことは出来ない。東京都根津に存在する「ディスポーザブルチョップスティックスサンクチュアリ」に巡礼し神様の宿る割り箸「セイントディスポーザブルチョップスティックス」を頂いて自らの家や職場の吉方に奉ることで初めて利便性と引き換えに失われた伝統をもたらすことが出来るのである。割り箸を使い続ける限りこのことを絶え間なく続けることが肝要である。セイントディスポーザブルチョップスティックスはその効力を常に発動し溢れんばかりのDCSオーラを部屋に充満させるが母なる自然のエネルギーを神主が秘伝の儀によって僅かに込めたものであるためその力は有限である。有限であるため頻繁に取り替えることがお勧めされるし可能であるならば全ての部屋と隣近所やよく会話する人々にも利用してもらうことが強く推奨される。セイントディスポーザブルチョップスティックスは決して安価なものではないがそれは割り箸の利便性を享受し逃れられない我々の堕落の裏返しであるので我々はそれを安易にばらまくことはしないが今ならセイントディスポーザブルチョップスティックスを一年分12本に今ならなんとケータイにぶら下げることでその効力を常に身にまとうことの出来るセイントディスポーザブルチョップスティックスストラップを家族の人数分お付けしますし、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

YKHM


気分よく一日を過ごす秘訣はいくつかあって朝起きてベッドから這い出しカーテンの隙間から青空が覗いていた時なんかはそれだけで今日はいい日になるなァと思う。天気というのは神様の気分次第なのでどうにもならないが秘訣というのはそういうものだ。


ある日パシフィコ横浜へ出掛けた。桜木町から歩いてゆくのが一般的だけれども「通は横浜から歩くのである」と横浜在住の知人が言っていたのを聞いたので横浜から歩いてゆくことにした。12月のはじめのことでとても天気のいい朝だった。朝からとても天気がいいので気分もとてもよかった。


歩道橋の階段の下でお子さんを二人連れた若い女性がベビーカーを畳むのに苦労している様子を見かけたので声をかけて階段の上まで代わりに持って上がった。彼女がしきりにお礼を言うものだから「今日は天気がいいですから」とおれは意味のわからない返答をした。彼女は娘さんにも「親切なお兄さんだねえ」と声をかけたが娘さんは神妙な顔でおれを見つめるばかりであった。おれも神妙な顔で娘さんの方を見た。階段の上まで持って上がると女性はおれに「きっと今日はいいことがありますよ」と言った。なるほど通は横浜から歩くものだなァとおれは思った。


その日は朝から天気がよかったのでとてもいい日だった。

iPhoneのプレゼンの時に壁紙をクマノミにしたのが気に入らなかった。なんでクマノミなのだ。何か理由があるのだろうけれどおれはそれを知らない。クマノミでなくて別の壁紙を使った方がきっともっと格好良かったとおれは今でも思っている


四十九日法要も終わったのでスティーブのことを書く。


その日はSMSの着信音で目が覚めた。iPhoneを掴むと画面には"Steve Jobs passed away"というメッセージが表示されていた。おれは職場に出掛けて、部屋の隅に転がっていたColor Classicにスティーブの写真を貼って簡単な仏壇を拵えた。それが正しいかどうかはあまり考えずに手を合わせた。


ティーブとは会ったことがないし話をしたこともない。メールを送ったことも貰ったこともない。動いている姿を見たのはWWDCのストリーミング中継の小さくて画質の荒いウィンドウの中だけだ。有名なスタンフォードでのスピーチも実はちゃんと聴いていない。スティーブについて書かれた書籍も沢山出ているけれど一冊も読んでいない。彼のことをファーストネームで呼ぶのも実は少し後ろめたい。「ミスター・ジョブズ」とかって呼んだほうがいいような気もするけど、あまり気にしないことにする。名言として紹介された沢山の彼の言葉のうち覚えているのはたった2つだけで、そのうちの1つは関空で手裏剣を没収された時に彼が叫んだ「こんな国二度と来るか!」というやつだ。だから彼が死んだと聞いた時は真っ先に、手裏剣くらい持って帰らせればよかったのにと思った。


おれが生まれて初めてApple製ではないコンピュータを触ったのは小学校のパソコンの授業の時で、おれは「なんだこのダサいコンピュータは!」と思った。何故かマウスにボタンが2つあった。画面の文字が汚かった。ケーブルは太く不恰好で、起動すると意味不明の文字が大量に表示された後に奇怪なロゴマークが表示された。「スタート」というボタンを押してコンピュータの電源を切りますと言われた時はどうかしてるんじゃないかと思った。そのうちしばらくして、このダサいコンピュータが世間では普通なのだということを知った。だがおれにとってはMacが普通のコンピュータだったのだ。人々はMacを美しいと言うけれど、おれにとってはただ単に、Mac以外がダサかった。


友人たちはApple信者だと笑ったけど、別にAppleの製品でなくてもいいとおれは思っていた。ダサくない普通のものを選んだ結果、たまたま全てに林檎のマークが付いていたのだと。しかしよく考えなくても、ダサいものは嫌だ、格好良くないとダメだという価値観のスタンダードをおれに最初に植えつけたのは、Appleの製品だったのだ。そうなのだ。そうでなければきっと、林檎マークのステッカーが貼ってあるだけでママチャリが格好良く思えたりはしない。


ティーブがいなくなった途端にAppleの製品がダサくなるとは思えないし、彼がいなくてもAppleがこれまで通り普通の製品を出し続けるのならそれはそれでもいい。そもそも、スティーブがいなければAppleのような会社が生まれなかったのかというとそれはおれには分からない。だけど彼がAppleという会社を作ったからおれはこんな風になってしまった。だからスティーブには責任を持って普通の製品を作ってもらわなくてはいけなかったのだ。それに、小さくて画質が荒いウィンドウで見ても彼のプレゼンはとても格好良かった。おれが知る限りではステージの上であんなに格好良いのはMJと彼だけだ。だからあのプレゼンがもう見られないのは寂しい。あの"one more thing"がもう聴けないのは寂しいよ。


もう1つおれが覚えている彼の言葉は「ステイハングリー」というやつだ。お腹を空かせた方が美味しくご飯が食べられる。彼は偉大だったのだ。

Lakers Beat Knicks


そんなはずはない、と。おれはそう思った。きっと何かの間違いだと。きっとそうなのだ。人間の味覚というやつは本当にいい加減なもので料理の味なんてものは決して料理そのものだけで決まることはない。これは経験上真理であるとおれは思っていて「ジャパニーズガールズにとっての料理の美味しさは誰がお金を払うかによって決まる」という冗句もあながち笑えないのではと真剣に考えることさえあるのだ。だからおれは必死になってずっと自分に言い聞かせた。この街の食事が美味しくないということではないのだ。「この街には美味しいものは何も無い」という刷り込みが、頭からずっと離れない。食事が美味しくないと感じる原因はきっとそこにある。思い込みを捨てろ、先入観を取り払え、あるがままを受け入れろ。そうだ、そうすれば、きっと―。


生まれて初めて訪れた、合衆国はニューヨーク。噂に違わずメシがマズい。


風邪気味の身体にのしかかった12時間の時差もかなり辛かったけれど、食事が合わないのには文字通り閉口した。現地に住む人に「ここは美味しいから」と連れて行ってもらったレストランで口にしたタイ料理やメキシコ料理はまだマシだったが、それ以外はおよそ21世紀の人間が経口摂取すべきものとは思えなかった。約一週間の滞在中、結局NYの食事で一番美味しかったのは博多っ子のおれが同行者を半ば無理矢理引き連れて出かけた一風堂のラーメンだったという事実には引き攣った笑いしか出ない。だがニューヨークで出会った人々は皆が一様に口にするのだ。「この街には全てがある」と。確かにエネルギーに満ちていて、素晴らしい人々の暮らす素晴らしい街だと思う。だがおれにとってのこの世の全てとは美味いメシとカルチョであり、その両方がないこの街には何もないのと同じことだ。まあもっとも、行く前の期待があまりに低かったために実際に行ってみるととてもいい街だと思ったしまた行きたいとも思うのだけれど、次は友人の家に押しかけておれがメシを作ろうと思う。


ニューヨーク出張から帰国したその足で今度は神戸に出張。大学時代を過ごした第二の故郷はまさにホームでありおれは「失われた一週間」を取り戻そうと夢中になって美味い食事を求め、その様子は砂漠を抜け街に辿り着いたキャラバンの一行が水を求めて井戸にダイブするかのごとき必死さであった。そういう場面では大抵井戸が乾いていて何もない地面に激突しついでにバケツのロープが切れて井戸から出られなくなり絶望するのが常だが飢えて意地が汚くなった人間にも期待を裏切ることなく最高の食事を提供してくれるのが神戸という街の素敵なところだとおれは思う。かつてアルバイトとして立っていた店に久しぶりに帰ると、いつも通りの美味しい食事と、いつも通りの手荒い歓迎を受けた。かつておれが居た頃からもう随分と時間が経ったけれど、人は変われど味は変わらないし、昔のように受け入れてくれる。そういう場所があるということはとても幸せなことだと思う。ここには最高の食事とカルチョの話しかないけれど、それはつまり、世界の全てがここにあるということだ。

名称未設定


つらつら。


今年の夏も意味不明の日本語を羅列して印刷したものを有明まで持っていった。「ブラック研究室の見抜き方」などと題したこんなものを印刷して値段をつけようなどというおれも阿呆だがこんなものを欲しがる阿呆な人々が大勢居たことにも驚きを隠せない。買って頂いたのに阿呆などと言ってはいけない。ごめんなさい。ありがとうございます。次の冬コミも申し込んでいますので当選したらまた訳のわからない文章を書いて今現在世界で最も強い貨幣の1つであるところの日本円においてワンコインでお求め頂けるやうな薄い本を作りますのでご期待下さい。主な使用方法は美麗イラストを存分に楽しめるマウスパッドというご提案。「ハチロク科学部(仮)が送るジャーナル・オブ・誰得サイエンス」こと「よくわかる現代科学2」、在庫僅かですがありますので欲しい方いらっしゃいましたらお尋ね下さい。


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最近学会の要旨なるものを書く機会が多く自らの英語の語彙の少なさに起因する絶望が緩慢におれを殺す。おまけに語彙がないだけならまだしも普通に英語としておかしい文章を書いてしまう。そんなおれのbrokenどころかdestructedな英語だけれども語感はいい。自分で言うのもなんだけれども読むと気持ちがいい。むしろ語感をよくしようとして単語を加えたり削ったりするお陰で意味が通らなくなったりしているきらいがある。文章は須らく言語を問わず段組の美しさとフォントの雰囲気と声に出して読んだ時のリズムが全てであると信じて疑っていないので別に意味が通らなくても構わないのだ。そんなもの、50年もしたら批評家が知ったような顔をして「これは敢えて文法を崩した文章を書くことで抑揚をコントロールした画期的な表現方法で…」とか言ってくれる。そう。これはアートだ。だが学会の要旨はアートではない。そうなのだ。


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昔小学生くらいの頃合いだったと思うのだけれど上下に振って芯を出すタイプのシャープペンシルが流行ったことがあった。振るとカチカチと音がするので授業を受け持っている先生によっては全員が全員カチカチするもんでやかましいから使うなとお達しを出したりしたこともあるくらい流行っていた。流行っていておれも欲しかったのだけれど結局買うことはなかった。それは何故かというとあまり見た目が格好良くなかったからだ。中に筒のようなものが上下に動くギミックが仕込んであってその所為でひどく持ち手の部分が太かった。それがどうしても嫌だったので、カチカチするのが珍しくて良いなあとは思うもののそれだけだった。おれは細くてカチカチ言わないシャープペンシルを使い続けた。そのことをふと思い出したことがあって、何故思い出したのかは忘れてしまったのだけれども、どうしてその時おれは見た目が格好悪いというだけでそのシャープペンシルを買わなかったのかということをここ最近考えている。別にそれほど他の文具や持ち物が格好良かったわけではないし、今のように見た目のいいものしか絶対に買わないなんていうポリシーがあったわけでもない。小学生だもの、カチカチ振って芯が出るシャープペンシル欲しかったと思うのだけれど。


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何かblogに書こうと思っていたことがあったんだけども忘れたので今日は寝る。