Frozen Central

アスファルトを跳ねる雨粒が、ジーンズの裾を濡らす。すれ違う人の傘から垂れる濁った水はこちらの肩を濡らしてやろうと襲いかかり、横殴りの雨で手に提げた紙袋はぐちゃぐちゃになっている。ちっと舌打ちをして顔を上げると、個人タクシーが車道の水たまりの上を全速力で駆け抜けて行った。




雨の東京は、冷たい。









上京して一ヶ月が経った。それまでにも幾度となく東京の街には来ていたから、複雑な地下鉄に頭を捻ったり、物価の高さに絶望したり、人の無愛想さに傷つけられたり、ハチ公前で写真を撮らなければいけない義務感に駆られたり、そういう「トーキョーショック」を味わうことはなかったけれど、やはり住むのは初めてなので、戸惑うことがなかったわけではない。しかし、おれが少なくとも二年東京に住むことになった時「若い時に東京に住むのはいい経験になるよ」と言ってくれた人がいた。彼は、続けてこう言った。


「チャンスと情報が溢れていて…だから他の街では手に入らないものも見つかるし、出来ないこともやれる環境がある。東京は、そういう街だから」


東京に住んで、渋谷新宿池袋、上野東京秋葉原、色んな街に行ったり、色んなものを見たり聞いたり、東京で暮らしている人達と話をしたり、そんな中でおれが強く感じ、驚いたこと、それは「既視感」だった。街の作りや規模がLondonだとかParisだとか、今までに訪れた大都市に似ているということではない。それとは違って、もっと街の内面、街の「性質」が、いつも自分が慣れ親しんでいるものに似ている気がした。そして気付いた—それは、インターネットだった。


新しいものが生まれては消え、ジャンルレスに大量の情報が溢れる場所。共通の感覚を持つ人々、特にフリークと呼ばれる人々が集っては、さらに新しいものを生み出そうとする場所。あらゆるものを網羅するが故に、物量の中に溺れてしまいそうになるけれど、航海の仕方を知りさえすれば「宝の島」に辿り着ける…インターネットはそういう場所で、そして東京もそうだった。


文字通り今や世界のどこからでもインターネットに接続し、情報を得ることは出来る。でもそれはあくまで情報でしかなく、「もの」を手に入れるためには、それがある場所に行かなくてはいけない。珍しいモデルのスニーカーも、マイナーなバンドのライブも、通の間で人気のラーメン屋も、情報として手に入れることはインターネットで出来たとしても、それを実際に手に入れたり、見たりするにはその場所に行かなくてはいけない。そして「それ」があるのが、この街だ。全国から人が集まり、ものが集まる、情報だけではない、リアルな「海」。それが東京なんだと、おれはそう思った。




だからこそ、おれはこう考える。「若いうちに東京に住んでみることはいい選択だ」という助言は、必ずしも全ての相手にとっていいものではないのではないか、と。「なんでもある」という東京の利点を、誰しもが生かせるというのは間違いだーインターネットを使いこなし武器とするには、ある種の適性が必要であるように、この街でも歩き方が分からず目的を見失っていった人は、きっと少なくない。自分に必要なものを知り、見つけて、それを手にすることが出来る能力がある人間にとっては黄金の島ジパングでも、そうでない人間にとって、無数の人が行き交い何がどこにあるのかも分からないこの街は、オアシスのない砂漠でしかない。


おれに「東京へ来るのはいい経験になるよ」と言った人は、その後に「でもまあ、ずっと住むには辛い場所だ」と笑った。若くて野心に溢れる人にとって、この街はチャレンジの場所としてうってつけだ。だけど東京は、やって来た人全ての願いが叶う理想郷じゃない。この冷たい街で、自分の想いだけは冷やすことなく戦える人間でいなければ、遠からずこの街の風景の一部分になってしまうだろう。


何がしたいとか、どんな人になりたいとか、そういった願いがあるんだったら、そのために必要なことを自分の手で為すしかない。環境はそれを助けてくれるかもしれないけれど、人に代わってそれをやってくれることもしない。アメリカに行くだけで英語が喋れるようにはならないし、東京に行くだけでメジャーなバンドになるわけもない。結局のところ、最後にできるかできないかを決めるのは自分自身なんだ。必要なことをしさえすれば、アジアの片隅に引きこもっていても英語を喋れるようになるし、初めて東京に行くのがレコード会社とのサインのためだというバンドだって居るだろうさ。それを分かった上で、それでも東京という街で手に入れたいものがある、そう言う人が居たなら、それを止めることは誰にも出来ない。グッドラック。









お気に入りのジーンズが濡れないように、長靴を履いた。駅の改札を出て、虹色の傘を差して、人が溢れる交差点へと走った。人にぶつからないように軽いステップで、他人に当たらないように傘を持つ手を高く掲げて。