何やら格好良いアートワークを見つけたので書かれた値段を払って手に入れると中にCDが入っていた


最近個人的に失望したのはお気に入りのサングラスを無くしてしまったことだ。先週末、人でごった返す新宿駅東口で待ち合わせをしていた時のことである。ジーンズのポケットに差していたzerorh+のサングラスがいつの間にか消えていた。Twitterへの投稿と記憶を頼るところ、ものの十分くらいの間にどこかへ消えてしまったらしい。汚い悪態を吐きながらおれは散々探しまわったが、見つかることはなかった。交番に行ったり近辺の落とし物窓口に行ったりしてみたものの、該当するものは届いていないという答えと共に「この辺りじゃ見つからないだろうねえ」という呑気な意見が返された。おそらく誰かが持って行ってしまったのだろうね、と。忌々しい。


大事なものをなくすというのは人生で初めての経験かもしれない。財布をなくすとか、アクセサリーをなくすとか、携帯をなくすとかいうことをしょっちゅうやらかす奴が知り合いに何人かいるけれど、おれが見た様子では、そういう時に彼らはそう残念そうな感じを見せていなかった。ところがいざ自分がそういう目に遭ってみると、彼らのようにすぐに切り替えるという反応が信じられず、自分がいかにものに対して執着があるかということを思い知らされたね。もちろん彼らだって「別になくしてもいいものだったし」という訳でもないだろうが、ことおれに関しては、なにしろ、いちいち自分の所持品に名前をつけて愛でるような変態なのだ。iPhoneにしろ、iBookにしろ、Henly Beguelinのお財布、Boseのスピーカー、Louise Garneauの極小径車、Fender JapanのElectric Jazz Base、それぞれにJukka, Lilia, Titi, Martha, Pavel, Annaという名前がついている。ちなみにジャズベの名前を澪に変える予定は今のところない。


そういえばなくしたサングラスにはまだちゃんとした名前をつけていなかった…それが彼、もしくは彼女にとって気に入らずおれの元から逃げてしまったのかもしれない。もしそうだとすれば、責任はおれにあるねー戻ってきた暁には最高にクールな名前をつけてあげることにしよう。そうだな…『メキシコに吹く熱風!』という意味の…いや、これはやめておこう。またすぐに逃げられてしまう。


サングラスは今年の三月に買ったばかりで、三万円くらいする自転車競技用のものだった。だけれど、買って半年もしない、おれの一ヶ月の食費に匹敵する値段のものをなくしたからという理由でこんなにショックを受けているわけじゃない。前述のZerorh+というイタリアのメーカー、そう有名なブランドのものでもないが、それはデザインがとても格好良くて、太陽の眩しい日に自転車で出かける時はもちろん、スノーボードの時や、特に意味もなく部屋の中でもかけている位にお気に入りだったからだ。それが例えもっと値段が安かったとしても、サングラスではない別のものだったとしても、それだけ気に入っていたものを失ってしまうことはとても辛いことだ。過去に好きな女性に告白してフラれた時にだってこんなにショックは受けなかったよ。


新しいものを買えばいいじゃないか、ということを言われた。でもおれにとっては、それでなくしたショックを忘れられるとは思えないんだ。倍のお金を出せばなくしたそれが戻ってくるというならそうすることに躊躇いはないよ。金額の問題じゃないと思っているからね。そんな高いものを軽く扱うからだ、ということも言われた。確かに、なくした時は扱い方が軽率だったかもしれない。でも、買った時の値段なんてそのものに対する扱いを変える要素になり得るとはおれは思っていなくて、そもそも、ものの違い、値段の違いはあっても、自分が気に入ったものしかおれは買わないから、おれの持ち物は全て等しく大事に扱っているつもりだよ。これは安かったから少々乱暴に扱ってもいい、これは高かったから大事にしよう、そういう考え方はあまり好きじゃない。だから繰り返すけど、なくしたものがもっと安い値段で買ったものだったとしても、おれは今と同じくらいショックを受けていると思う。


自分でこういうことを言うのもどうかと思うし誤解を招きかねないのだけれど、おれはお金にあまり執着がない。そしてこれは、恵まれた家庭で不自由なく育ててもらったが故なのだろうということは知っているけれど、それはあくまでも欲しいもの、あるいはチャンスを手に入れる為の手段の一つでしかないと思っているんだ。だからものにつけられた値段をそのままそのものの価値にすることをしない。安いけどいいものだって、すごく高いけどいいものだって、おれにとっては等しくいいものなんだ。


このおれの考え方は資本主義の原則に反しているかもしれないね。それは、おれが本当に欲しいものはお金では買えないものであることが多いというのがその一つの理由かもしれない。基準を定めることは難しいけれど、自分に刺激を与えてくれるものを探し、自分が美しいと感じるものを集める、そういう欲求がおれは人一倍強い。それは面白い本を買って読むことや、お洒落な雑貨屋さんや洋服屋さんに行って気に入ったものを買うことでも満たされるけれど、知らない街に出かけて行って街の人々を眺めたり、お店の人と話したりすること、そうやって新しく出会ったものから得たインスピレーションを頼りに自分で自分の気に入るものを作ることでも満たされる。多くの場合、後者の方がおれにとっては楽しいと感じられて、そして同時にそれはお金を出したからといって手に入るとは限らないものだ。


こんなおれと同じ考え方をする人はそう多くないだろう。そしてこれに対して理解することが出来ない人が大半だということもおれは知っているよ。これが絶対的に正しいと他の人に押し付けるつもりはないけれど、 おれはこれが悪いことだとも思っていない。何故なら、このおれのやり方で、おれは幸せだからね。そもそも、まだ両親から経済的に助けてもらっている身でこんな話をするのも生意気だけれど、なにしろ、両親だって同じ考え方なんだ。それをおれはリスペクトしているし、いずれ自分で稼いで生きていくようになってもきっとこの考えは変わらないだろうと思う。だからおれのサングラス返してくれ。


そして最近個人的にハッピーだったのは贔屓にしているフットボールチームがリーグとカップ戦の二冠を達成したことだ。もちろんバルセロナさ。チャンピオンズリーグも残っているけれど、その結果がどうであれ今季のチームは歴史に残る偉大なチームだと思っているよ。そうそう、カンテラ(下部組織)上がりの選手を軸にしたチームの成功は、お金をかけて素晴らしい選手を集めれば勝てるというおれの嫌いな考え方を打ち破ってくれたね。そしてそれに必要なことは継続性と、謙虚さだということも示してくれた。たかがフットボールじゃないかと思うかもしれないけれど、今季のバルサのスタイルとその成功からおれたちが学ぶことは多いよ。