プレゼンターフレンドリーなリスナーの在り方、あるいは胡散臭い宗教に国を任せずに幸福を実現する方法


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話下手・アガリ症でも聞く人に楽しんでもらえるプレゼンを作るテクニックと心構え - ミームの死骸を待ちながら


原因を追究することにこの場合さしたる意味はないと思えるのだが敢えてそれを試みたとしてもそう簡単に答えが出ることはないであろうおれの生まれてこの方23年来の口やかましさについてはここでは特に触れないでおきたいと思っているんだ。それは本題にあまり関係しないからね。あくまで導入の意味合いを込めて、そして親愛なる友人へのリスペクトを込めて。



"プレゼンターフレンドリーなリスナーの在り方…
あるいは胡散臭い宗教に国を任せずに幸福を実現する方法"



冒頭のid:Hashによって書かれた記事は非常に興味深い。それはこのblogに似つかわないLifeHackingな文章をおれに書かせようとするのに十分なほどだ。なるほどサイエンスやビジネス、その他あらゆる所でプレゼンテーションは行われており、それはトークを苦手とする人にとって時に堪え難い苦痛を生む。「おい、プレゼンなんて、ストリーミング紙芝居でいいじゃないか!」彼のプレゼン指南エントリは、そんな人々に大きな勇気を与えてくれるだろう。


しかし現実はタフだ。ミーム教祖の御言葉に従い意気揚々と会議室へ向かった彼らのうち、どれだけが手応えと自信を手に戻ってくるだろう?シビアなプレゼンの場で、クライアントにイヤなところを突っ込まれ、あるいは他所のラボのボスにボコボコにされ、ガラスのハートは粉々に砕けてリサイクル工場行きだ。「割れたガラスはモザイクアートにするとオシャレだよ」なんて同僚のジョークもきっと彼の耳には届かない。


「いいプレゼンだった」と思えるプレゼンはスピーカーの努力だけでは成立しない。何故か?それはプレゼンの場には聞き手という不確定要素があるからだ。では良いプレゼンを実現するために必要なものは?それはリスナーの手助けだ。当たり前だが、良いプレゼンというのはスピーカーだけでなくリスナーにも有益だ。トークの下手な人間が冗長なプレゼンをやってクライアントにその商品の良さが伝わらなかったとしよう。当然プレゼンをやった側にとっては不利益となるが、その商品が本当にいいものだったとしたら、その良さを受け取れなかったクライアントにとっても不利益だ。だから、プレゼンで少しでも収穫を得ようとするなら、リスナーもプレゼンが良くなるように工夫しなくてはいけない。一流のパサーだって受け手のポジショニングが悪ければキラーパスは通せない。それと同じことだ。


前置きが長くなるのはおれの悪い癖だね…anyway, you ready?
あまり多く挙げすぎてもどうかと思うから、3つだ。

1. 話の流れをぶった切らない

まずはこれだ。そういえばドイツ人の友人に「日本人は話を最後まで聞かない」と言われたことがあった…それと関係あるかどうかは知らないが「何でそこで発言するんだよ」という人間がたまにいる。「あ、ちょっといいですか」良くない。黙って座ってろ。


いくら「質問がございましたら適宜」と言われようとも話が一段落するまで口を挟むのは待つべきだ。当たり前だが、特にプライベートなプレゼンに近くなるほどそれが出来ない人は多い。せっかく相手が流れを組み立てようとしているのにそれを破壊するのは賢明ではない。特にテンポよいプレゼンを心がけようとしている相手に対しては。一度切られた流れを、短い残り時間で持ち直すのは至難の業だ。もちろん、相手のプレゼンを台無しにしてやりたいのであれば構わないが、それも大人のやり方としてどうかと思う。

2. メモを取る、頷く

ラソンランナーは孤独かどうか知らないがプレゼンターは孤独だ。本当に伝わるのか、これで大丈夫なのかという不安を常に抱え、そんな精神状態のまま喋らなくてはいけない。不安は緊張を呼び、緊張は滑らかな喋りを妨げ、それはプレゼンの失敗を招く…


そこでリスナーのあなたが取るべき行動は「大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」という意思表示だ。もちろんあなた自身のためにもメモは取るべきだが、要所要所でペンを走らせているリスナーを見るとスピーカーは安心するものだ。頷きも同様だ。メモを取り、自分の方を見つめ、時に頷いて同意してくれるリスナーを見ると、スピーカーも自然とそちらを向く。孤独なプレゼンの場においてスピーカーが対話の相手を得ることは、トークを調子づかせ、場の緊張もほぐしてくれるだろう。ただしあまりに頷きすぎると逆に不安を煽るかもしれない…おい、大丈夫か、デスメタルでも聴いてるのか?

3. 優しく殺す

プレゼンでリスナーがもっともアクティブになるのはやはり質疑の場面ではないだろうか。疑問に思ったらどんなことであろうとスピーカーに聞くべきだ。自分が理解出来ていないだけかもしれない、これは本質からは離れるかもしれない…と質問を躊躇うのも愚か者のすることだ。分からなければ聞け。また一方で、よく話を理解し把握するあなたなら、時に致命的な穴を見つけることがあるかもしれない。そして聡明なあなたは、そこを突けば相手がダウンするかもしれないことも分かっている。だが、そんな穴を放置しておく訳にもいかない。突っ込まなければいけない。スピーカーの言葉で説明してもらわなければいけない…ただし、聞き方に気をつけろ。


ぶっきらぼうに「どうなん?それあかんやろ」という冷徹なノーモーションスローイングナイフ、これはやめるべきだ。冷たい態度はスピーカーを萎縮させ、適切な答えを得られない可能性がある…スピーカーの彼は普段はとても頭がよくその欠点についても把握しているが、あがり性で話下手なのであなたのその冷たい態度にビビり上がって言葉を返せない…ということだってあり得る。可能性を潰してはならない。何よりも、そういったスピーカーとリスナーの間に上下関係を生むようなやり方は止めた方が良い。あくまでもイーブンに。あなたが質問するのはスピーカーを責める為ではない、情報を得るためなのだから*1


つまり理想的なやり方はこうだ。まず確認する。「あなたは〜であると仰いました」。努めてゆっくりと、柔らかい口調で。彼は頷く。「そこで一つ疑問があるのですが…」刺すぞ、と宣言する。彼は身構える。「私はここは〜であると思うのです」自分の意見を提示する。彼は頷く。「この点に関してあなたの意見をお聞き願えないでしょうか」やわらかく!彼は檻の中のハムスターだ。驚かしてはいけない。ゆっくりと、綿で首を締め上げるように…いやそんなにサディスティックでなくても良いが。


厳しい質問を投げる時ほど、相手に余裕を持たせ、答えられる可能性を残さなければいけない。あなたが疑問に思っていることを答えられなかったことに対して、言い訳をさせてはならない。逆に言えば、それで答えられなかったら相手はその程度だということが分かるから、それもあなたには収穫になる。今後の関係をどうするか決めるためのいい材料になることだろう。


Extra. ロナウジーニョを止める方法

さて、今挙げた"心がけ三ヶ条"の仮想敵は自称寡黙で口下手なid:Hashだ。だが世の中には本当によく口の回る奴というものは居るもので、実はそんなによくないものなのに、彼らはそれをさも素晴らしいものであるかのように喧伝する。そういった優れたスピーカーに惑わされず、本質を見失わないためにはどうすればいいか。


…すまないが、またフットボールの話だ。今は輝きを失ってしまったが、全盛期のロナウジーニョ、彼のドリブルは本当に誰にも止められなかった。華麗なステップ、速すぎるまたぎフェイント、トリッキーなエラシコ。だが05-06チャンピオンズリーグチェルシー戦、ロナウジーニョとマッチアップしたパウロ・フェレイラは辛うじてではあるが、彼のドリブル突破を抑えることに成功した(それでも何度か抜かれたが)。どうやって?…これはディフェンスの基本中の基本だが、ドリブラーと相対する時には、足を見てはいけない。ひたすらボールだけを見続ける。そしてボールから足が離れた瞬間にチャレンジ。この基本を守ったからこそパウロロナウジーニョを止められたのだ。彼は無理にボールを奪おうとせず、ひたすらボールだけを目で追っていたのがとても印象的だ。


話を戻そう。つまり言いたいのは、口達者な相手のトークに惑わされてはいけない、プレゼンの中身だけをしっかりと見極めろということだ。プレゼンが終わった後、そのスピーカーのトークや場の雰囲気ばかりが頭に残って「なにやらすごいものだった」ではいけない。人間はその場で漠然と掴んだイメージに意外と捕われやすいものだ。プレゼン中も話の中身の方、スライドや資料に意識を集中しなくてはいけないし、頭が冷めてからもう一度冷静によく確認するべきだ。彼らは言葉巧みによりよいイメージを持たせたり、あるいは聞き手の意識の誘導を計って最終的に自分達の思い通りにことを運ぼうとする。華やかなプレゼンこそ裏があると疑ってかかるくらいがちょうど良いということもあるかもしれない。そういうはなから人を疑うやり方はおれも好きじゃないが、もしそのプレゼンが、水増しされた過剰装飾なものだったとしたら、損をするのはあなたなのだ。




さて、こうして並べてはみたが、実はこれはプレゼンの場に限らず普段の会話やコミュニケーションでも全く同じことが言えると気付いたと思う。相手の話を最後まで聞き、要らぬ言葉を挟まないこと。相手の話をちゃんと聞いているという意思表示をすること。そして意見をする時は言葉を選ぶこと。また、話の本質を見抜くこと…なんてことはない、当然の話だ。だがそれを、プレゼンという場で、1対大勢となった場で、リスナーがどれだけ意識できるか。それだけでそのプレゼンが成功するかどうかは大きく変わってくる。


「プレゼン」とは言うが、それは実際のところ「聞き手が複数いる会話」であるべきなのだ。それをあたかも決闘の類いであるかのように思い込むからスピーカーには不安が生まれ、受け手には慢心が生まれる。id:aureliano氏が仰っていたプレゼンに必要なのはおもてなしの心とは至言だが、それも一方通行であってはならない。双方の思いやりなくして心地よい会話はあり得ない…だから、もしも話し手がどうにも口下手で、ああこいつはインターネットではよく喋るタイプだな、フォントとか弄るのかな、なんて思ったとしても、彼が努力している様を見て取ったなら、聞き手のあなたもそれに応えなくてはいけない。そうすればきっとみんな幸せになれる。そうだろう?幸せは誰かに与えてもらうものじゃない。皆で作り上げるものなんだよ。


長々と書いたけれど、もういいだろう。
願わくば、この記事によって一人でも心穏やかとなるプレゼンターが増えることを、一つでも多くの心療内科が商売上がったりとならんことを。

*1:おれの卒論発表の時のボスに見せてやりたいね!