A Rolling Stone Gathers No Moss

研究者という職業が世間一般からどういう扱いを受けているかおれはよく知らない。だがおおむねポジティブなイメージを持たれているように思う。もしくは「よく分からないけど頭のいい人達がアレコレやっている」というような類いだ。「目指せノーベル賞、だね!」というようなことを言う人もいる。思わず苦笑い…。いや、まあ、それはいいんだ。


高校を卒業してから数年の紆余曲折を経て、今おれは某大学院の農学研究科にいる。研究者を志す者、という位置づけであるわけだ。ところが以前書いたようにおれは”研究者”という職業に絶望してしまった。今日はその話をつらつらと書いてみようと思う。


研究者にならないことを決めた理由—それはおれの性格に合わないという至極勝手な我が侭だ。


小学校の時から毎年の通信簿に”好奇心旺盛”というお決まりの文句が書かれるおれは、この歳になってもまだまだその気質が衰える様子はない。新しいものを見たい、知りたい。それが面白さに、楽しさに繋がると思っているからね。だからおれは、研究者になりたいと思った。研究者という職業は確かに「新しいものを自分の手で見つける・創り出す」職業で、それはとても魅力的なものに思えたのだ。ところがいざ学部の四年になって研究室に配属され、実際に見たそれは、さながら修行僧のようにストイックで、他のものには目もくれず、ひたすらに一つのことに打ち込む姿勢が要求されるものだった。新しさが常に得られたとしても、それはたった一つの自分だけのものを追究し延長することでしかない。それが耐えられなかった。孤独。それもおれが嫌気が差した理由の一つだ。向き合うのは自分の目標ただ一つ。敵はいても、共に戦う味方なんていない。沢山の人と話し、いろいろなものを共有することが幸せだと思うおれにそれは苦痛でしかなかった。どこまで突破してもパスコースはない。ゴールまで一人で走りきり、自分だけの力でシュートを叩き込まなくてはいけない。なのにDFはうじゃうじゃいる。マゾヒストなら喜びそうなゲームだけど、おれは個人主義に走りたくはないんだ*1。それよりも、フォアザチームの精神で、色々な人と一緒に、皆の共通の目標のために戦いたい。それが一つ目の理由だ。


そしてもう一つある。それは”業界”の空気が、好きになれなかった。


研究者というのは、大学や国立研究所、あるいは民間の研究所に所属して活動するわけだけれど、その裏には派閥争いや、政治ゲームや、研究資金のためのあまり綺麗とは言えない思惑、そんなものが渦めいている。研究者が皆「社会に貢献する」という大義名分を本心から実行している人だけであったらまだ良かった。それは二の次にされ、ある人は主義を捨てグラント(研究資金)を取り易いような研究に走ったり、またある人はそこに君臨しているお偉い教授様のご機嫌取りをしてみたり…勿論皆がそうだとは思わない。でも、そういう空気を感じ取ってしまったことは一度やニ度ではないんだ。自分が本当にやりたいと思った研究を、何にも邪魔されずやれている研究者というのは一体どれくらいいるのだろう。


そして「古い言葉」に囚われ新しいものを受け入れる下地のない人々が、その上層に巣食っている現実。これももちろん全ての研究者がそうではないと思うし、そもそもこれは研究者に限ったことではなく年をとった人間は皆そうなり得るのだけれど、彼らは自らの主義主張こそが唯一絶対の真理だとして、それにそぐわないものの一切を拒絶する。だが現代、技術革新のスピードが速い時代ではそんな人間は取り残されてしまう。企業の人間であれば、その企業が淘汰されるだけの話であるし構わないけれど、研究の現場ではそういった人間が残り続け、進化が、進歩が停滞してしまう。ガラパゴスの動植物は大陸に移動することはないからそれでもいいかもしれないが、研究者は学会に行かなければいけない。それに多くの研究者は私費でやっているのではなく国費から資金を得ているのだから、効率を上げる確証があるのなら新しい技術や知識を柔軟に受け入れる、少なくともトライすることは必要だと思う。もちろん研究という地道な仕事を長い間続けてきた人間にはプライドだってあるだろうし、簡単に主義を曲げることは出来ないだろう。情報系や工学系の一部と違って昔から連綿と手法や思考が受け継がれて来たような分野に従事する人では特にそれが顕著だ。それはおれにだって理解出来る。ぽっと出が何をほざいてやがる、こちらには努力と苦労の歴史があるんだと言われても言い返せない部分はある。でも、じゃあ、あなたの持ってる携帯電話。それ、要らないんじゃないんですか?


何のために研究をするのか?新しい技術や知識を生み出し社会に貢献する。もちろんそれがベストだろうけど、自分がやりたいからという理由でも構わないとおれは思う。それが副次的に「新しい言葉」を生むのなら、ね。でもそれが本当に世界に還元されることなのか、ただの自己満足で終わっていないか、あるいは最悪なことに、本心からやりたいとは思っていないことにただ従事するだけの機械になっていないか。もしそうなのだとしたら、そんなことはさっさと止めて農村の畑を耕す方がずっといい。


こんなこと、世間知らずの若造の思い違いだということは分かってる。実際に研究で何を為したわけでもない、口先だけの知ったかぶりだ。行動を伴わないで何かを言う資格なんて無い。それに「世間はそんなもんだ」と呆れながら言う人だっているだろうね。でも「そんなもんか」とあっさり諦めるにはおれは若過ぎるし、残念ながら六十年にも渡る研究生活を終えてから「やっぱりクソだった」と言うためだけに自分の人生を使うのなんて真っ平御免だ。だからおれは決意した。将来研究者としてやっていくことはないだろう。この二年間でこの世界ともおさらばだ。でも、どうせなら後は野となれ山となれ、世界を変えられるかは分からないけど、ちょっと引っ掻き回すくらいは出来るだろう?


そういうことで、おれはDBCLSにお世話になることになった。DataBase Center for LifeScience. ライフサイエンス分野の”知の巡りを良くする”というこのプロジェクトは、「古い言葉」で凝り固まった研究者達の肩を揉みほぐすことが出来る。少なくともそのプロジェクトに携わる坊農氏にお話を聞いた限りではそう思えた。


体系化されず様々に散らばり、連携が取れているとは到底思えない生命科学に携わる国内の研究者達の活動とその成果を”きれいにおかたづけする” 。実際に何をするかと言うと、研究活動に役立てられるデータベースの整備・維持、あるいは研究活動の負担を減らす便利なツールやサービス、およびその利用法の紹介など。あまり具体的ではないように見えるけれど、何しろスケールが大きく幅も広いのだから仕方ない。それこそ旧き研究者達が難癖つけそうな「きれいごと」ではあるし、このプロジェクトにだって様々な思惑があるのかもしれない。でもここでなら、あるいはおれの”復讐”…八つ当たりにも似た餓鬼の我が侭を何らかの形には出来るかもしれない。そんな思いがあるんだ。


まだまだ発展途上のプロジェクトではあるし、ざっと見ても今すぐに研究者の方々にフル活用してもらえるかと言うと疑問な部分もあるかもしれない。そもそも研究活動において何の成果も持たない半人前以下である上に前述のような想いがあるおれがこのような試みのお手伝いなど不遜この上ないのだが、それはそれ、「勉強しに来るつもりで何かしら貢献してくれれば」と仰って下さった坊農氏への感謝の念と共に、頑張らせて頂こうと思います。


で、その一環であり最重要任務である”統合グルメ*2。味気なくなりがちな研究者達の生活、せめて食事の時くらいは美味しいものを食べて幸せになってもらおうじゃないかという壮大で希望に満ち満ちたそれに既にいくつか協力させてもらった。イエス、ホームグラウンド。まあ、そんな感じでユルく…いやユルくてはいかんと思うのだが…おれは首都での本当の戦いの火蓋をちょん切ったのでした。

*1:でもディエゴならあっけなくやってしまいそうだな

*2:別名、首都本郷弥生大学で昼メシに迷える子羊達への福音