where there is being able to say everything even it is so ridiculous for ordinary people


青年は悩んでいた。彼は必要とされていなかったからだ。百の言葉で罵倒されるよりも遥かに重みを持ち、結論だけが容赦なく示される民主的なシステムにおいて、集団からの排斥を望まれた彼はその「要らない」という残酷な全の意志を真摯に受け止めた。そう望まれたなら、素直に従う。異議はなかった。 未練もなかった。だからこそ、である。彼を追放したその場所がただならぬ危機に瀕している現実を前にした時、彼は苦悩した。その危機を救えるのは彼の他においてないことを彼は知っていた。相対中心を失ったことでバランスの崩れた世界を救うには彼の帰還が必要だった。だが彼は追放された身であり、戻ることは全の意志に反することだった。自らの存在を規定した意志を守るためにその意志に反するか、その意志の存続が困難になることを知りながら従い続けるか。どうするべきなのか?彼は自問した。だがそこに答えはなかった。考えた。何度も同じ思考を繰り返し、結局彼は同じところに辿り着いた。どうすることも出来ない。ここでこうやって悩んでいることしか出来ない。自分は無力だ。ふと、空を仰ぎ見た。雲一つない真っ青な空は、彼が慣れ親しんでいたあの「場所」を思い起こさせ、その瞬間、数々の記憶が蘇った。走馬燈のようにフラッシュバックする記憶が過ぎ去った後、最後に一つだけ、その場所で最初に出会った声がこう言った—
「自重は、ダークサイドだよ」。
おれにしか出来ないことがある。ならば何も考えずにやればいい。やらない選択より、やる選択。死に怯えるよりも、死んでから後悔しろ。青年は立ち上がった。そして彼は、戦場へ駆け出した。そこで彼はまた声を聞いた—「走らないで下さーい!」


なんのことやらよく分からないがこれはおれがTwitterへ復帰しコミケの三日目へ行った8月16日の記録である。



何気なく冗句のつもりで書いた「このpostが10fav行ったらTwitter引退する」が16人の手によって可決されTwitterを引退したものの戦場の有明に上がる炎を見てはおれが行かぬわけに行くまいという謎の使命感に駆られのこのこと復帰したという要約すればそれだけの話ではある。「何で帰ってきたんだ」と言われそうだが帰ってきてしまったものは仕方がない。おれだってセブンに帰って来て欲しかったが帰って来たのはウルトラマンだった。だがもう迂闊にあんなpostはしないとだけ言わせてもらおう。あと、あのpostに星をつけた連中には相応の復讐をさせて頂くこともここで付け加えておく。


ともかく、まあ面白そうだから引退してみるかと末期にまで進行していたTwitter症候群を1週間ほどのブランクによって治療することを試みた。その間にやっていたいくつかの実験の結果をここに記しておこう。

実験1:Twitterやめれば真人間になれるという仮説の実証

大間違いだった。iPhoneのタッチパネルの上で行き場を失ったおれの親指は2chmixiFacebookやその他諸々のwebサービスを蹂躙し、そのあまりの遅さに苛立を募らせ結局タイムラインを覗き見する羽目になり普通にTwitterしている方が生活に馴染んでいるのだから害が少ないという結論に至った。

実験2:Twitterやめれば変態思考が薄れるという仮説の実証

吐き出すところを失い普通に「女子高生のふとももで興奮してる奴はサル以下。人間なら膝裏」などと口に出していた。社会的地位を失いかけた。捌け口は大切だ。

実験3:Twitterやめれば現実で友達が沢山出来るという仮説の実証

実験2の弊害で減ったように思う。

実験4:Twitterやめれば身長が伸びるという仮説の実証

身長は伸びなかった。髪の毛は伸びたが、爪が伸びるのは遅くなった。相関関係は不明である。

実験5:Twitterやめればモテるという仮説の実証

最初からモテモテだったので実験にならなかった。




やはりおれは理系に向いていないように思う。