その夜、中目黒は雨だった - 4th man's sight mix

「実は彼、料理が得意なんですよ。イタリア料理の店で働いていて」
席に着いた途端、隣に座ったid:Hashはおれを指してそう言った。向かいの二人はほう、といった表情。おい、突然なにを言い出すんだ。おれはHashの顔を見る。どや顔である。さっきまではリスナーの姿勢を貫いていたくせに…「では」ホストであるid:aureliano氏が口を開いた。「iNut君にメニューはお任せしようか」おれ以外の三人はそれがいいとでも言うように頷いている。なんてこった。


2009年6月16日。夜の中目黒に降る雨は、ますます勢いを増していた。


注文を取りに来た女性に「会話がメインなので」と断りを入れて、無難に前菜、パスタ、肉料理を二皿ずつ注文した。おれが注文している間にaureliano氏は、岩崎夏海氏は隣に座ったid:kawango氏に彼の会社での話の続きを始めていた。岩崎氏ご自身が「気付くのに長くかかり、そして今はもうやめた」と話した”癖”はどうやらパーソナリティの一部にまだ残されているようで、見方によっては挑戦的とも取れる姿勢でkawango氏に対し持論を展開している。彼は言った。匿名では限界がある、と。実名と所属を明らかにした上で文章を書くことは一般にリスクを伴うとされるが、それは突き詰めれば発言に責任を負うということだ。好き放題に書くことは出来ない、ネット上での発言は実生活に還ってくる—そこに逃げ場は無い。そう、だからこそ実名で放つ発言は匿名のそれよりもさらに重みが増す。そしてそれを背負う覚悟…しかしそれは単に発言のクオリティに留まらず、発言者の姿勢にも少なからず影響を及ぼすのではないかとおれは彼の話を聞きながら考え…前菜が来た。上品なカプレーゼだ。そうそう、バジルはフレッシュでないとね。料理を取り分けながら、先程までの岩崎氏の会社でのやり取りを思い出していた。


「みなさんが私のことをどういう人間だと思っていらっしゃるかは…」
18時、待ち合わせの時間にHashとおれが岩崎氏の会社へ赴きテーブルに着くと、まず岩崎氏はそう言った。二人の人間を相手にして「みなさん」と語りかける、つまり彼はHashとおれの二人を通して別の、もっと大きな集団に語りかけようとしていた。まあ、概ねの予想はついていたがはっきりそう言われると、少なくともおれは困惑した。岩崎氏には申し訳ないが、Hashは一人の有名ブロガーとして、いやそれ以前に個人的に興味があるという理由で岩崎氏を尋ねたのだし、おれも同様で、彼のブログの読者を、あるいは彼のブログへの”ブックマーカー”の代表として会いに行ったのではない。はてな界隈で話題の中心となっていた岩崎氏を、もっと外から見ていた人間として、彼の本心、そしてその思考を知りたくて会いに行ったわけだ。だから求めていたのはステージの上の岩崎氏に近づくことではなく、楽屋の岩崎氏に会うことだった。だからおれはblogとは違い思慮深く相手の話を聞きに回るHashの代わりに流れを変える役を買って出たわけだ。相手がアルファブロガーだろうが総理大臣だろうが躊躇無く言いたいことは言うのが日本人的奥ゆかしさとは無縁のid:iNutだ。自重はダークサイドなんだよ。


そうして、自身のblogへの思い、今後の展望、かつてやってきたことの真相、そして彼の”とりまき”について、はてなに対して「ガツンと申し上げた」ことについて、岩崎氏の語り(そう、彼は本人も認めていたが話すと長い)を聞きながらおれは岩崎氏の人物像を固めていった。少し洞察力のある人間なら彼のblogを読むだけで分かるが、彼のblogはある一つの信念に基づいて進められている。それを解さずに表面的なメッセージだけに脊髄反射する人々が、はっきり申し上げると(!)、ブックマークコメントには多いが、彼にはそれすら自分のものとするだけの余裕がある。そしてその余裕を支えているのは彼の経験とそこから得た絶対的な自信だった。そう、彼は自信家だ。そして、おれがわざと生意気に議論をふっかけるとそれを捻り潰そうとするだけの負けん気の強さもある。ある意味では分かりやすく、しかし難攻不落の要塞。そんなイメージだ。


パスタが来る頃には話題はkawango氏のblogに移っていた。何故blogを始めようと思ったのか?「ヒマだったからです」何を書こうと?「自分語り、ですかね」ヒマとは?「僕は基本的に働きたくないんですよ」端的に、一言で。論理で畳み掛けるように語る岩崎氏とは対照的だ。しかし彼の言葉には内容のシンプルさ、あるいは凡庸さーそれに反して人を惹き付ける何かがある。それを感じ取ったのはおれだけではないようで、Hashは後の彼のエントリでそれを「異次元」と称し、一方岩崎氏は、kawango氏のそのカリスマとも言える何かの理由を解明しようとその場で試みた。彼のかつての仕事における”ホームラン”の根本には、何かそれに結びつくような過去の体験があったのではないかと尋ねた。彼の強烈な個性は「大きな困難を乗り越えることでのみ辿り着ける領域」であると、おれもそう思った。しかし返ってきた答えは「いや、ないんじゃないですか」。腑に落ちないとは正にこのことだ。高度に発達した科学は魔法と区別がつかない、それが人の形を成している、おれがkawango氏に抱いたイメージはまさにそのようなものだ。「ニョッキってじゃがいもだっけ」「そう、じゃがいもと小麦粉を練ったパスタだね」というやり取りは最早どうでもよかった。場はkawango氏に完全に呑まれていた。窓の外では雷鳴が轟いていた。


kawango氏が次に用事があるというので、カツレツを食べてすぐに店を出た(肉ときのこを包んで揚げ、ルッコラパルミジャーノがいいアクセントになっていた。ちょっとこれは真似出来ないな)。傘を持たないのを見て、事務所は近いので傘を使って下さいと申し出た岩崎氏に「ああ、そこのコンビニで買ってきますから大丈夫ですよ」と雨の中飛び出すkawango氏はどこまでも対照的だ。岩崎氏とHashとおれは再び岩崎氏の会社へ戻り、おれが免罪符に持って行った大学芋を食べた。イタリアンのデザートにしては少しそぐわない気もしたが、大学芋はほっこりとしていて美味しかった。