l'impatto terzo

最近はラボとDBCLSを行ったり来たりである。


ラボでは相変わらず修士学生という扱いにはほど遠くサッカー部で言うゴール裏の球拾い、飲食店で言う皿洗いみたいな立場である。なんにせよ本人が「土いじりしてえ…剪定…」などとぼやきながらやっているものだからエッペンチューブの中の大腸菌の方も「あーこんなんでいいっすか?」みたいなダルい感じでプラスミドを増やしてくださるので、結果として実験の効率がすこぶる悪い。ボスの駄目出しにまあそりゃあそうだよなあ、などと他人事のような感想を抱きつつ閉め切られたブラインドの向こうに広がっているであろう青い空に想いを馳せていた。長靴の国に帰りたい。


一方DBCLSでは毎回が大変刺激的である。一応リサーチアシスタントということでお仕事に行っている筈なのだが何故かいつも司令の講義を受けては感激の奇声を上げてばかりだ。そろそろ居室の床に鱗が積もっていそうなので掃除機をかけなくてはいけないかもしれない。ともあれ有難いことだ。イカれた同僚達がニヤニヤ笑いながらキーボードで指の筋力を鍛える光景を横目に見つつ、色々なことを教わっている。こんな恵まれた環境もそうはあるまい。いや、Color Classicが鎮座する四色窓の付け入る隙のない絶対林檎空間とか、そういうことではなくて。


先日はTerminal, Unixのプチ講義を受けた。これでも一応おれの人生の半分以上はコンピュータと共に在った—LC 630で初めてMacに触れ、iBook G3で黒歴史をインターネット上に量産する少年時代を過ごし、今でも立派な林檎信者だ—のだが、不思議とCUIには縁がなく、慣れ親しんだMacコマンドラインを叩くのはどこか奇妙な感じさえした。


思うにおれにとってコンピュータは手段でしかなく、コンピュータ、あるいはプログラムそれ自体をいじるという発想がなかったのだと思う。インターネットで知らない人と交流したり、world wide webミームをまき散らしたりすること、コミュニケーションこそがおれの目的だった。同世代で同じくらい昔からコンピュータを触っていた連中は皆自作PCだプログラミングだとギークな世界に没入していたが、おれにとってコンピュータ、というよりMacは、インターネットに繋がるオシャレな箱でしかなかった。いつも冗談めかして言っている「Macはインテリア」というのは実は本音だったわけだ。


そういうわけで、プロダクトデザインやユーザーインターフェースには興味を持っても計算機としてのコンピュータに関してはほとんど知識も理解もなかった。せいぜいCUIGUIの違い、出汁が困憊して倍也という程度だ。Twitterプログラマーの人々と関わるようになっても、彼らが何を喋っているかとんと分からぬ、変わらずコンピュータは道具でしかなく、それを以て何を為すかという方が重要、と自らそちら側の世界に突っ込むことはしなかった。


正直に言おう。それは嘘だ。要するに何がなんだかよく分からんし、とっかかりがないから馴染めなかったというだけの話で、実際のところ文字だけでコンピュータを動かすというのは最高にクールな体験だということを、そのTerminalの講義で知った。実際に自分のMacが「そーす」を「こんぱいる」して「ばいなり」を生む瞬間を目撃することはとてもエキサイティングだったね。同時に何かがすとん、と落ちるような感覚を覚えたよ。久しぶりに扉が開く音がした。


昔アルバイトしていたイタリア料理店で、一緒に働いていた先輩がおれにこんなことを言った。「いいか、taz、『興味ない』っていうのはすげえ勿体ないことなんや、興味なくてもいいからやってみろ、絶対なんか見えるから」と。それを思い出した。興味がなかったわけではないけど、tryせずにいたことを、実際にやってみた、そういう今回の体験は、言葉では言い表せない衝撃をおれに与えてくれた。世界が広がったわけだ。


何で大人はこんなに頭が堅いんだ、そうやって自分の世界に閉じこもるような人間になるくらいならおれはガキのままでいいよ、なんて息巻いていた筈なのに、気付かぬうちにそんな風になりつつあったのかもしれない。恐ろしい話だ。素直さを失ってはいけないと痛感したよ。Don't be afraid to fail, be afraid not to tryというのは分かってはいるんだけれどね。


それだけじゃない。おれは「コンピュータは手段でしかない」と言ったけれど、目的を達する為に手段そのものへの理解を深めることの重要性も今回司令から教わったことの一つだ。例えば、インターネットでの表現が目的だったとしても、インターネットの構造を十分理解しないままでは目的の達成すら怪しいし、ちょっとしたプログラミングの知識があればさらに良い表現方法を見つけられるかもしれない。CUIというコンピュータの今まで触れたことのなかった部分への最初の一歩を経験したことで、おれはこれからさらに色々なことにチャレンジ出来ると思う。目的の達成のために手段を理解する、知識を得る、そのために手段そのものへまずは当たってみる。急がば回れというやつだ。


そこで話は大腸菌に戻るんだが、彼らが好き勝手暴れるのはおれが実験手法およびバックグラウンドに対して消えかかりの怪しい知識と理解しか持っていないことに起因することは明らかだ。学部の時に割と勉強した筈なのだけれど、おれの頭に搭載されたHDDが動作不良を起こして当該領域のデータを吹っ飛ばしたらしい。バックアップを取り忘れているのでもう一度書き込まなくてはいけないだろうね…


だいたいおれはディテールを放棄してそれらの根底にある流れとか思想とかフィロソフィーを読み取ることばかりしているからこんなことになるし、おまけに対人のコミュニケーションの中でしかそういったインプットが出来ないというのは致命的だと思う。まあこのあたりはまた改めてエントリを書こう。今はとにかく勉強し直すことでボスのため息の量を減らさなくてはいけない。これ以上温暖化が進むと、ヴェネツィアが沈んでしまうしね。