cd

つらつら。


人生色々あるよなあと思うことしきり。"ちょっとした事件"、これについてはまたそのうち書こうとは思っているんだけれど、沢山の人に「人生そんなもんだよ」と言って頂くイベントを終えたら2009年も第4四半期に入っていた。早いね。


色々な間柄の人、色々な立場の人に一つの問題に対してアドバイスを頂いたのだけれど、それはもう、まあ話題が話題だったからなんだけどさ、十人十色とはこのことかという様々な意見を頂きました。この場をお借りして、まあおれのblogだから借りるも何もないんだけどさ、お礼をば。ありがとうございます。


空は誰が見ても青いんだけど、その青さを語るにしても、結局のところ客観性なんて神様くらいしか持てないものだから、どうしても主観というか、語る人によって違う言い方になるんだけれど、それってやっぱり突き詰めるとその人の歩いてきた道が土台になっているわけで。価値観とか、センスとか、そういうものってやっぱり生きていく中で生み出したり拾ったり捨てたりして自分のものにしていくわけじゃない。だからね。その場の状況とかもあるけど、言葉、文章もそうだけど、それにはその人の人生が詰まっててね。それってでもすごいことだよね。だから人から貰った言葉はその人だと思って大事にしなきゃいけないんじゃないかなってね。いや、神様だって拾ったり捨てたりするんだから、そういうこともあるけれど、リスペクト。ダンディにNO THANK YOUってね。何の話かって?あなたに分かるわけはないさ。おれだって分かっていないんだから。なんだっていいのさ。


じゃあおれの言葉には何が詰まってるのかなって。それは今まで生きてきた中で拾ってきたいろんなもののエッセンスが染み込んでて、詰まってるというか、そうだね、服についた染みみたいなものだ。肉染みは消えないなんてジョークは言いたいけど言わない。要らないもの捨てて、避けて、好きなものを抱きしめて、それで染み込んだ色が、何が染み込んだかはおぼろにしか分からないけど、その色が他の人に伝わるんじゃないかなって。というか、それしか伝えられないんじゃないかなあって思うのね。


泥沼に突っ込んだとするじゃない。すると泥がべたべた服につこうとする。嫌じゃない?今まで綺麗な色の染みばっかりつけてきたのに汚れちゃうのは嫌だ。そこでじゃあ泥んこになるのが嫌だから引き返したり、別の道を歩いて行こうかな、そうしようかなあって。でもなんかね。泥沼抜けたらなんか、綺麗な虹が見える気がする。気がするだけだよ?でもさ、ちょっと見たいじゃない。だから泥んこの中に突っ込むんだけど、必死にやれば染みつけないで渡れそうな気もしてきてね。それに泥んこもちょこちょこつけると綺麗に映えるのかなって。




はい。20分。