Cancer Cell

システムなんかクソ喰らえという話。


中学時代の終わり、おれは高校受験なんかクソだ、と叫んでいた。しかしどうすることも出来なかったので半ベソでトライしたら、それをパスして過ごした高校時代はとても楽しかった。続いて高校時代の終わりには大学入試なんてクソだ、と唸っていたな。ところが「やってもねえことをクソ呼ばわりするのはクソ野郎だ」と言われたもんで、何糞と勉強してパスして大学に入ったら、やっぱり大学受験はクソだったとボヤきながらも死ぬほど楽しい大学生活を送ることが出来た。そしてモラトリアム延長願いが受理されて間もなく訪れた次なるクソ、就職活動についてもおれは変わらずクソだ、とせせら笑っていた。だけどそんな風に文句を言いながらでも就職活動に励んでいたら、立派な企業に入って楽しい社会人生活を送れることになったのだろうか。残念だけど、それはおれには判らない。


企業研究だ自己分析だ、一体それに何の意味があるのかと。結局今まで流されるままに生きてきて、やりたいことの一つもないから、そうやってフローチャートを辿って無理矢理自分を洗脳にかけて、それで自分の未来を自分で決定したつもりになっているだけで、そんな風に人生決めてしまっていいのかよ。大学で遊んでた頃には知りもしなかったような企業で一生懸命働いて自己実現?笑わせるよな。大企業に流されるままに就職するのではなく自分のやりたいことを実現するために起業するだとかなんだとか言っている連中も似たようなもんだ。結局は枠の中に収まったままで、行き着く先は同じだよ。それが"就職活動"だって言うんならそいつは間違いなくクソ以外の何物でもねえな。


とまあ、そんな風に思っていたわけだ。だけど今は違う。


例えば若い人が全員同じようなことを思って「俺は俺のやり方でやってやる」と言って就職活動投げ捨てて好き勝手に実にもならんサービス始めてみたり田舎で農業始めたり海外に出て行ったりすると社会が破綻する。日本という社会が存続するためには若い人間が大人しく日本を支えてる企業に就職して人を絶やさないようにして、そして働いて社会を動かす必要があるわけだ。だから若い人は無駄に夢持ったりしなくていいし、こんなシステムでいいのだろうかなんて考える必要はない。というか考えちゃダメだ。疑問を持ったとしても、それを変えようなんて、ましてや止めてしまおうなんてとんでもない話だ。就職活動で苦しんでいる若い人間よりも、今そのシステムの中で生きている上の世代やもっと若い世代の数と重要性を考えれば、どちらを優先しなくてはいけないかなんて自明のことだね。生物の1個体を存続させるためにはそれぞれの細胞がそれぞれの役割に従わなくてはいけないように、今動いている社会を存続させるためには、定められたシステムに従ってそれぞれの人間がそれぞれの役割を果たさなくてはいけない。大学生は興味がなくても退屈でもそれに何の意義を見出せなくても、就職活動をしなくてはならないわけだ。


そういうわけで癌細胞になることにしたという話。