踝が地上6000m


おれの声が神様に届いた。


学生最後の夏休みだから日本一高い山に登ろうと言うが、どうせ登るなら富士山だなんてスケールの小さいことを言っていないでエベレストにでも登ってきたらどうだ、というような話を少し前におれはここに書いた。すると驚いたことに、つい先日、友人の一人がキリマンジャロに登ってきたと言うではないか。彼はおれの文章は読んでいなかったと言うが、じゃあ何故キリマンジャロへ?と訊くと「いやー、今しか行かれへんやろ」、お土産の珈琲豆をおれに渡しながら、何もおかしいことはない、そういう風で彼は答えた。これはもう間違いなく神託である。エベレストに行けとは言わずキリマンジャロなんてどうだい、マザーランド最高峰なんてクールじゃないかと現実的な妥協点をお告げとして差し出すところが神様のステキなところだ。おれはあんたのそういうところが好きだよ。なんといったって、彼が本当にエベレストに向かって万一帰らぬ人になったとしたら、おれは一体どんな顔をしたらいいんだ?「これが本当の凍死神託」?おれの天界ジョークのセンスは絶望的だね!


彼は登山とは別にサファリにも出かけたそうで、地平線の彼方に沈む夕陽をバックに草原をゆく象の群れを見たときは心底感動したと言っていた。「山登ればいいってもんでもないんだよ、分かるだろ?」そんな風にニヤニヤしている神様の顔が目に浮かぶ。ムカつくが全くもってそうだ。学生最後の夏休みだからと言って必ずしも山に登る必要はない。もちろん海に潜ればいいという話でもないね。「今しか出来ないこと」、それを楽しめよ、と。何も"学生最後"だなんて、それを殊更に強調する必要だってなくて、いつだってそうなんだ。今しか出来ないことには今しか出来ないという価値がある。だから日本人は期間限定商品や閉店セールに弱いし、あんなマズそうな飲み物を喜んで買うのも日本人くらいのものだ。


しかし、現地のツアーガイドの兄ちゃんが履いていたボロボロの靴を見かねて、登山ツアー終了後に自分の新品の登山ブーツをお礼にプレゼントしたという彼の行動については意見が分かれるところだ。「別に趣味ちゃうし、もう山とか登らへんしな」そんなことはないだろう、エベレストに登るチャンスだってきっとこの先あるはずだ。それに、地元の人が「ミルクを買うよりこっちを買った方が経済的」と語る山羊一頭の値段よりも高いブーツを安易にプレゼントするというのはどうなのか。彼の善意は彼の意向通りに受け止められるとは必ずしも言えないのが現実の辛いところだ。彼らは、そのブーツを売ってミルクを買い、その美味しさに気付いてしまうかもしれない!ブーツをプレゼントした彼の行動は、本当に正しかったのだろうか「いや、まあ本音はトランクにお土産入れるスペース欲しかっただけやねんけどな」彼の行動は絶対的に正しい。おれは彼の登った山の名前を冠した珈琲を飲みながら、母なる大地とそこで働く人々に想いを馳せた。


神様、彼らがいつも暖かい食事と、友人の多い客と共にありますように。