build a ship in a bottle


蒐集癖というのだろうか。何かものを集めたがる習性というのは、一見して生物学的には何の意味もないようで、だけど何かに突き動かされているようで実に不思議だ。グッズであったり本であったりとにかく人は色々なものを集めたがるね。集めて何かするとかそういうことではなく、集めるという行為そのものを楽しみ、"集まった"というその"状態"に快感を覚える。でもそれは多分本当は逆で、「足りない」という状態に不快感を覚え、完全であること、安定であることを求める習性が生物、いやこの世界には元々あって、傾いたバランスを元に戻そうとするような、ある種の引力のようなものがその根本にあるんじゃないかなって思う。


おれはそもそもモノが雑多に散らばっている部屋というのが気に入らないから、あまりモノを集めるということをしない。それにモノを集め始めるとすぐに自分の居場所がなくなってしまうのだ。物理的に。おれの部屋が犬小屋のように狭いことから犬ちゃんというアダ名で呼ばれているというジョークがすんなり受け入れられてしまいそうなほど小さな我が城(推定5畳半)。部屋は狭い、ものは置けない。だがしかしどうしても抑えられないものが一つだけある。ワインのボトルの蒐集である。


おれの部屋の片隅には飲み終わったワインのボトルが並べてある。今でこそ10数本しかないが、以前までは1平米のスペースを埋め尽くすワインボトルの山がさながらボロ屋を食い尽くすシロアリの牙城の如くおれの部屋に居座っていた。おれの部屋へ遊びにやって来た客人はそれを見て絶句したものだ。「…捨てろよ」「いやーついつい集めちゃってさー」搾り出された声におれはいつもの返答をする。いや、全くもってその通り。実際のところ別に集めているわけではなくて、どのワインもエチケットが可愛くて捨てるに捨てられない。それがいつしか集めているというレベルに達してしまったというわけだ。しかしこのままだとおれの部屋は暇潰しに海に流す手紙の便箋をノアの方舟の乗客に売る商人の倉庫となってしまう。生憎世界の終わりにビジネスチャンスを掴むほどおれは商魂逞しくないのでそいつはお断りだ。ガラスのボトルじゃ筏は組めなさそうだし、洪水が起きないよう謙虚に生きるよ。


そうして仕方なく、一度うりゃーっと捨ててしまったのだけれど、やっぱりそのうちの何本かは捨てられずに残してしまった。お気に入りのラベルだから、それだけじゃない。やっぱりどうしても捨てられないんだ。美味しいワインを飲み干して空になったボトルには、代わりにそれを呑んだ時の楽しい食事の時間の記憶が詰まっているようで。「…捨てろよ」「集めてるんだよ」「ウソつけ、捨ててへんだけやろ」客人の呆れた声に、おれは笑いながら答える。そうだね、実際のところ、ワインのボトルはどうだっていいのさ。集めてるのは、その中に詰まってるものだから。